隠岐島前教育魅力化プロジェクトの求人情報

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教育関連事業(島根県 隠岐郡 海士町)

全国の離島・中山間地域で急速な過疎化が進むなか、離島の高校では異例の生徒数倍増を実現させ、廃校の危機を乗り越えた隠岐島前高校。全国的にも注目されるこの驚異的な流れを生んだ「隠岐島前教育魅力化プロジェクト」には県外からのIターン者も多く所属し、現在も進化を続けています。高校魅力化の枠を超え、「島の暮らしにある幸せや豊かさが長く続くことに教育分野から貢献する組織」を目指して、意欲的な活動を展開しています。

人口2,400人足らずの小さな離島、海士町。港からほど近いところにある隠岐國学習センターを訪れると、古民家がリノベーションされた「古いながらも新しい」味わい深い空間の中で、若いスタッフが元気に出迎えてくれました。

ここは隠岐島前高校と連携した「公立塾」と呼ばれる施設です。都市部には予備校や塾が数えきれないほどたくさんありますが、ここ海士町にはそのような選択肢が少ないため、高校生の学習や進学のサポートをするために設立されました。

隠岐島前高校の生徒約160名のうち、実に130名以上がここに通っているというから驚きです。放課後になると、学校の授業を終えた制服姿の生徒たちが「こんにちは!」という清々しい挨拶と共に続々と入室します。

隠岐島前教育魅力化プロジェクト(以下、プロジェクト)のスタッフと談笑したり、小腹を満たすための軽食を取ったり。そこに受験戦争の殺伐とした雰囲気などは皆無で、みな我が家に帰ってきたかのようなリラックスした表情で各々の時間を過ごしています。

まず最初にお話を伺ったのは、約4年前に兵庫県からここ海士町に移り住み、プロジェクトに参加したという中根章子さん。移住後に知り合って結婚したご主人との間にお子さんが誕生し、現在育児休業中ながら取材に応じてくださいました。

Q.海士町への移住を決めたきっかけは?

今から6年くらい前に、島の教育会議をオンラインで視聴したことがきっかけです。当時私は大阪で教育関係事業の営業職をしていたんですが、そこで目にしたプロジェクトの方のお話に大変感銘を受けました。

なんというか、教育資源がとても少ない離島という環境の中で、理想に向かって突き進んでいる姿、そしてそこに全国から賛同する若者が集まってきているという事実に心を動かされましたね。

海士町での教育会議の映像に強い衝撃を受けた中根さんでしたが、自分も島に移住して一緒にやりたい!という気持ちの芽生えから移住の実現までには、それなりの葛藤があったといいます。

兵庫県宝塚市で長年ご両親と共に実家暮らしをしてきた中根さん。行ったこともない離島での田舎暮らしへの不安が募るなか、「だけど新しい世界に飛び込むなら、20代の今しかない!」と奮起し、プロジェクトへの参加を決断されました。

Q.そこから休職されるまでの間、どんな仕事をされたのでしょう。

1年目は総務とか経理とか、事務的な業務全般を担当しました。当時プロジェクトは組織としても未成熟で、事務回りのことはほとんど整備されていなくて。私自身、事務職の経験がなかったので、右も左もわからないまま、ただただ必死だったように記憶しています。

慣れない島での暮らし、新しい職場と環境の変化が続くなか、夢中で仕事をしているうちにいつの間にか後輩が増えていました。中根さんは事務部門のリーダーとなり、同時に隠岐國学習センターの教務を担当することになります。

そのころから生徒と直接かかわる機会が増えました。「夢ゼミ」という、対話や実践を通して自分の興味や夢を明確にしていくような授業があるのですが、その講師を担当したりしました。

その後事務局長に就任してからは、学校の管理職の方や行政のトップの方との会議に出席することも増えたといいます。業務は多岐に渡り、魅力化構想を島の内外に発信するための冊子を刊行するなどの活動も意欲的に行っています。
昨年長女を出産し、今年いっぱいは育児休業中。

Q.仕事のやりがいを感じる瞬間は?

仕事の幅は広いですが、おかげで地域の色々な立場の方々と関わりを持つことができる、非常に面白い仕事をさせてもらえています。最も感慨深いのは、やはり関わった生徒の成長を目の当たりにしたときですかね。県外から親元を離れて島に来ている子も多いので、初めて島に来たときの不安そうな様子からは想像できないくらい、卒業のころにはたくましくなって、心の成長を感じさせてくれます。

あと嬉しいのが、生徒たちの何気ない優しさを感じる瞬間ですね。妊娠中も私の体調を気遣ってくれたり、手作りの安産のお守りをくれたり。みんな本当に優しい子たちばかりで、生徒から教えてもらうことが多いです。

中根さんがそう話をしているところに、ちょうどひとりの女子生徒が来所し、中根さんの娘さんの姿を見つけてニッコリ。慣れた手つきでヒョイと娘さんを抱っこしたかと思うと、すぐに笑顔であやし始めました。

その様子は先生と生徒というよりは、気心の知れた親戚同士くらいの非常に近い距離感です。日頃から一人ひとりの生徒に寄り添い、心を通わせていることがありありと伝わってきます。

Q.今後の夢や目標は?

島前地域(西ノ島町、海士町、知夫村)での取り組みは本当に多くの人々によって支えられていて、「地方創生の成功例」のような形で外から評価されることも多いです。でも実際にはまだ解決すべき課題は山積みで、引き続きたくさんのパワーが必要です。だからこれからもっともっとこのプロジェクトに関わってくれる人を増やしていきたい。

ここには主体的に考えて自分から提案していけば、やりたいことにどんどんチャレンジさせてもらえる環境があります。一緒に作り上げていこうという気概を持つ仲間を増やしていきたいと思っているので、何かを感じた人はぜひ私たちの職場を見に来てください。

中根さんを含め、プロジェクト内で育児休業を取得したスタッフは全部で3名とのこと。

その記念すべき第1号は、プロジェクトリーダーを務める大野佳祐さんでした。

大野さんは後続のスタッフが育児休業を取りやすくする道筋を作るため、自ら約1か月間のパパさん育休を取得したそうです。

そんな大野さんにも続いてお話を伺いました。

プロジェクトリーダーである大野さんは、その名の通りプロジェクト全体を力強く牽引する存在です。2014年に前リーダーの想いを受け継ぎ、後任のリーダーという形でプロジェクトに加入しました。

前リーダーは魅力化プロジェクトを立ち上げたカリスマ的な存在でした。それを後任者として引き継ぐと決めたとき、やはり大きな責任を感じると同時に、やってやるぞという強い意欲も湧いてきましたね。

そう語る大野さんこそが、先ほどの中根さんが島へ来るきっかけとなった動画の中で、島の教育について熱く語っていた人物。中根さんの心を強く揺さぶり、島へ導くだけの魅力と説得力があったに違いありません。

Q.海士町に移住する前はどこで何をされていましたか?

東京で教育関係の事業に関わっていました。首都圏の子どもたちにふるさとを作る、という趣旨の事業を展開しようと準備していまして、そのつながりで、隠岐島前教育魅力化プロジェクトに参画しないかという誘いを受けたんです。

参画することを決意してからは、同じく県外出身の奥様と共に海士町へ移住。お子さんにも恵まれ、現在は島で家族3人暮らし。
島への移住者は誰もがそうであるように、最初は多少なりとも「よそ者」感があり、地域になじむまでにそれなりに時間はかかるとか。大野さんは日々少しずつ地域との交流を積み重ねていくなかで、次第に地域住民に認められ、受け入れられていく感覚を味わったといいます。

実は僕、昔は祭りとか好きじゃなかったんですよ。それが今ではすっかり祭りを盛り上げる方の立場になっちゃいましたね。このあたりの方々は皆さん祭りが好きで、祭りを大切にしているので、練習も週3回とかあるんですけど、最初はそれに参加する意味もあまりわかってなくて。それでもまずは続けてみようと思って参加し続けているうちに、すっかり一員として認められるようになりました。ここのところ、毎年正月は近所の色んなお家に挨拶にお邪魔して、お酒をいただいたりしています。

仕事も私生活も「結果よりもプロセスが大事」と語る大野さん。資本主義社会ではつい結果ばかりが求められがちですが、島へ来て感じることは、「コツコツ積み重ねることで初めて得られるものの大切さ」であるといいます。

教育魅力化って、結局はプロセスを作ることだと思っているんですよ。先ほど中根も言っていましたが、このプロジェクトはまだまだ進化の途中であって、目の前は課題だらけです。うまくいっている部分ももちろんありますが、それでも島の子どもの数はここ10年で半減している、という事実もあるんです。引き続き外から生徒を呼び込むことも大事ですが、地元の子どもたちが島外の高校に進学することなく、隠岐島前高校を選んでくれるようなプロセスを我々が作らなければならないんです。

全国のメディアで「廃校の危機を乗り越えた成功例」として頻繁に取り上げられる隠岐島前高校ですが、最前線の現場で戦っている皆さんにとっては、それもひとつのプロセスに過ぎないのでしょう。
この山積する課題に立ち向かっていくためには、常に変化し続け、止まることなく歩み続ける組織であることが必要、と大野さん。

Q.どんなメンバーに加入してもらいたいですか?

学び続ける人、そして変化し続ける人、ですかね。このプロジェクトのメンバーは全員が「伴走者」であるべきと私は思っています。学習指導や進路指導ももちろんやりますが、指導者というよりは、生徒に寄り添いながら一緒に悩んで、一緒に考えて、一緒に進む人であるべきだと思います。一人ひとりが「人と人をつなぐコーディネーター」として活躍できる組織にしていきたいですね。

途中少し退屈してぐずり始めた中根さんのお子さんを我が子のように抱きかかえ、優しい笑顔をふりまく大野さんの姿には、強く優しいリーダー像が垣間見えました。

スタッフから見た大野さんとは?

常に打席に立ち続けて、戦い続けるリーダーだと思います。私たちスタッフを信頼して任せてくれるので、みんなに愛されていると思います。陰か陽か、でいえば「圧倒的に陽」な存在です!

全国からIターンで移住したメンバーがほとんどだという隠岐島前教育魅力化プロジェクト。
平均年齢約30歳という若いパワーに満ち溢れ、活気に満ちた職場では、今日も島の課題と正面から向き合いながら走り続けるアグレッシブなスタッフたちの笑顔が輝いています。

(2019年10月取材)

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