
無駄なことは一つとしてなく、積み重ねが結果になる。それがブドウ農家・有吉麟太郎さんの感じる、農業の深さだ。 実家は大田市にあるブドウ農園。一から開業した父親には「継がなくていい」と言われていたものの、有吉さん自身は農への志が高かったため、農業関連の企業に就職した。品種改良や農園開発などの業界で働く中、胸にはもどかしさがあったという。企業で優先されるのは、均質的な成果物、売り上げ、無駄の削減、投資家への説得材料。そのようなある種の“効率”は経営に重要だと分かってはいた。でも、それは「一つの実りを良いものにする」という農業の本質からは遠いのではないか。迷い悩む中、選択肢として挙がったのが自営農家だった。

自分の手で理想の
「良いもの」を作るために
長く農業を続けるならと考えたとき、浮かんだのは実家でも育てているブドウ。品質の違いで評価が大きく変わり、技術と努力が報われる果物なので、挑戦する甲斐があると思ったそうだ。幼い頃に見た親の苦労も少なからず選択に影響している。「父母は人の何倍も働いていたのに経営がうまくいかない時期が続き、とても悔しかった。大人になったら自分が変えたい、そのために良いものを作るんだという思いが芽生え、原点になっています」
父親に就農の相談をしたところ、返事は「本気でやるなら帰ってきてもいい」。酪農関係の会社で働いていた妻の桃子さんも賛成し、大田市へのUターンを決めた。
農林大学校に行くなど就農準備の方法は他にもあったが、父親のもとで学ぶことに。「親子間での弟子入りや家族経営は、金銭面などが曖昧になりがち。学ぶのも経営するのも、親と子で別々の農家としてある方がいい」と定住財団の担当者やJAの職員らにアドバイスされ、「UIターンしまね産業体験制度」を利用し農業研修という形を選択した。その後は夫婦で独立開業。父親の農地の一部を継承して自分たちのハウスを作り、シャインマスカットや神紅を栽培している。

土と木に実直に向き合う
積み重ねの毎日
有吉さんは父親のやり方を参考に、手間ひまかけて堆肥などをすき込み、丁寧に土を作っている。作業効率のいい液肥などはあまり使わない。そのためか木が病気や暑さに強くなり、味の良い実ができている。「農業に無駄なことはない。たとえば葉っぱ一枚を扱うような作業も本質に結びついています」と有吉さん。答え合わせに時間がかかるからこそ、地道に土や木と向き合い、一つ一つを積み重ねていく。それは昨今の効率や便利さを重視する風潮とは真逆の営みだ。有吉さんはそこに手応えを感じている。「過去を振り返ってみて『あのとき無駄だと感じたことが、実は大事だった』と分かることがありますよね。その点でブドウ作りは人間に似ていると思います」
目標は、品質の高いものを安定的に作り、島根の特産品であるブドウを守り地元に貢献していくこと。そして、朝起きた時に嫌な気持ちに一切ならずに一日を始めること。「今日はあれをするぞ、これをするぞ、といつもワクワクして目覚めます。そういう日々を続けていきたいです」と笑顔を見せてくれた。




有吉さんの農園は、海に近く森や田畑も広がる豊かな地にあり、夫婦で島根のブランド品種「神紅」に挑戦している。妻の桃子さんの専門は酪農。全くの未経験である果樹栽培の世界に夫とともに飛び込み、イキイキと働いている。「農園でヤギを飼いたかったんですが、ブドウの木の皮を食べてしまうので難しいですね」と笑っていた。

経営はご両親と別になっているが作業場は共用し、いつでも相談できる環境だ。有吉さん曰く「父は背中で語るタイプ」。木や土の状態を判断するコツや、ハウス内の空気から必要なケアを知る方法など、言語化できないノウハウを実地で教えてくれている。


Uターン後、第一子の麒一郎くんが誕生。わが子の成長にも向き合う日々を送っている。






