誰もが、誰かの、たからもの。 LIFE STYLE 10 カルチャー

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神楽も、日々の暮らしも、
自分らしく。
無理せず過ごせるふるさとの空気

邑南町のしんしんと雪が降る
谷あいの集落に佇む神楽の練習場。
週2回、夜になると、仕事や家の用事を
済ませた集落の住民が集まり、
囃子を奏で、軽やかに舞う。
神楽団の中で最も若いのが大西和樹さんだ。
神楽は大西さんの暮らしの一部となっている。

大西さんが生まれ育ったのは邑智郡邑南町、広島との県境近くにある阿須那地区。高校までふるさとで過ごし、卒業後は広島市の専門学校に進学した。家業の電機店を継ぐため経験を積もうと広島の電気工事の会社に就職したが、あるとき体調を崩して休職。人もモノも情報量も多く騒がしい都市部より、静かな邑南町で療養しつつ家業の電機店を手伝おうとUターンを決めた。

阿須那は山あいにある集落で、緑が多く澄んだ空気が漂う。出羽川からせせらぎの音が聞こえる以外、大きな音を立てるものはない。大西さんは、穏やかな川面、静かに佇む山、満点の星を眺めている穏やかな時間が好きだという。帰ってからは体調が落ち着いている時が多い。

現在は電気機器の設置や修理、配線工事、水道工事など地域の暮らしを支える仕事をこなしている。訪問先ではご近所さんを迎えるような和やかさで、「まあ、ちょっと休憩しながらやりなさいよ」とお茶やお菓子が出されることもある。「地域の人はみんな顔見知り。全員が親戚のような繋がりがあって、僕もそこに入れてもらっているという感じです」

土日は近くにある祖父の田んぼを手伝う。農薬散布など大掛かりな作業は寄り合いで行うことが多い。家の近くにある賀茂神社では毎年5月に「次の日(じのひ)」という祭りがあり、地区ごとに華やかな傘鉾を作り神様に捧げる。これを作るのも寄り合いだ。商工会青年部や消防団などにも参加している。人口が少ない地域のため、一人一人が担う役割は大きい。頻繁に何かしらの集まりがありスケジュール管理が大変だが、その忙しさが地域の一員として生きている実感にもなっている。

阿須那には、石見大元神楽を源流とする阿須那流神楽が伝わっている。大西さんは物心ついた頃から神事や祭りで神楽を見ていた。「特別なものではなく、見に行くと客席に友達も来ていて一緒に遊べるから出かけていました。はしゃぎすぎて『神楽見ぃ!』って怒られたりも…。半分擦り込みみたいなもんですね。友達と遊べるから神楽も好きになるっていう」

この地域では保育園の卒園の会でも神楽を上演するそうだ。子どもでも舞えるようにアレンジされたものだが、園児たちは懸命に演じる。神楽団に入っている大人がいる家には笛や面などがあり、子どもたちはそれらをおもちゃにして遊ぶ。大西さんの祖父もかつて団員だったため家の中に太鼓などの道具があり、神楽の気配はいつも日常に漂っていた。小学3年から中学を卒業するまでは子ども神楽団に所属。そんな暮らし方をしてきたせいか、大人になるまで阿須那流神楽を全国共通の芸能だと思っていたそうだ。

実家の電機店では、阿須那流神楽「雪田神楽団」の音響を請け負っている。「父の仕事を手伝ううちに、また神楽をやってみようと思いはじめました。音響をしながら舞い手もやろうかな、と軽い気持ちで。志はメンバーの誰よりも軽いかも!」

最年少のメンバーとなった大西さんへの先輩たちの指導は「とりあえず思い出しながらやってみ!」。子ども神楽でリズムやストーリーなどの基本はインプットされていたので、記憶を辿りながら舞い、少しずつ所作を直してもらい、練習を重ねていった。「みんな何十年も神楽をやってきた超ベテラン。技術はもちろん、人の所作を見極める目も持っています。自分の練習をしながらしっかり指導してくれました」。入団して4ヶ月後、「次の日」の奉納公演で初舞台を踏んだ。「お披露目できるかできないかギリギリのところで本番に…。見る人が見たらぐちゃぐちゃだったかも」と話すも、大西さんは頬を綻ばせる。

2020年は新型コロナウイルスの影響で上演がストップしたため、オンライン公演を行った。提案は大西さん。趣味のネット配信の機材と技術を活用した。年配のメンバーは「和樹がおらんかったらこんなことできんかったよなあ」と話す。配信は情報発信だけでなく、アーカイブとしての意義もある。「いつか舞い手が絶えても、映像が残っていればまた神楽をやろうという人が出てきた時に役立つはず」と大西さんは言う。趣味で得た技術が神楽団の役に立ったが、自身は継承の中心になってやろう、神楽団を有名にしてやろう、というような肩に力の入ったスタンスではない。「みんなが作り上げていくものの中に居させてもらっている感覚。その中で自分なりの色を出していければと思います」。

神楽団の空気はどんなものかと聞くと、「居心地がいいです。空気がいい。もちろん本番前は緊張感が漂いますけどね」。メンバーたちはみな幼い頃からの顔見知り。「昔は名前に〝兄ちゃん〟をつけて呼んでいた人もいるけど、もうお互い大人なので名前に〝さん〟づけです」。呼び方は変わっても関係性は昔と変わらない。メンバーには大西さんの親ぐらいの世代の人や、80 歳近い人も。息子や孫のように気にかけ、可愛がってくれる。

「雪田神楽団は何でも話し合って決めます。出演や運営に関することだけでなく、表現のこともそう。所作や節回しなどは一人一人が自分の解釈を持って演じています。お互いのやり方を理解して、考察して、尊重して、一緒に作っていけるのがいい」。協調しながらも型にはめられることなく、のびやかに楽しめるのが大西さんには合っているのかもしれない。

取材をした日の練習は夜9時からだった。団員たちは仕事を終え、夕食や子どもの世話などを一通りこなしてから集まる。大西さんも昼に電気機器の設置や配線工事を何件もこなし、家族と夕食を取ってからやってきた。団員たちはストーブを囲みながら地域の行事や仕事のことなど世間話に花を咲かせ、練習場には和やかな空気が漂う。

大西さんは練習中に衣装を羽織って舞ってくれた。刺繍や装飾が施されたきらびやかな衣装はずっしりと重く、「着て動くと難しいなあ」と息を切らす。「まだまだだな~!」と笑顔で励ますのは、昔彼に〝お兄ちゃん〟と呼ばれていた先輩だ。足運びや手先の動きなどを確認し合い、「俺ならこうするけど…」「足はもちょっとこうしたがいいが」「参考にしとった人のクセが残っとるかもなあ」と言葉を交わす。練習は深夜まで続く。彼らの日々の中には、仕事や家庭生活、地域行事などと並んで神楽がある。これが大西さんや団員たちの当たり前の暮らしなのだ。次の日からはまたそれぞれの営みが続いていく。

大西和樹さん
大西和樹さん
広島市から邑南町阿須那にUターン。実家の電機店で働きながら、商工会青年部や消防団など地域の活動にも関わる。雪田神楽団に所属し、賀茂神社での奉納公演などで活躍。神楽のライブ配信も担当している。 ※掲載記事は取材時点の情報となります。

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