田舎だからこそ
できる豊かな
デザインがある。

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人との比較でなく、
自分がいいと思えるものを追求する。
「自分が手掛けた建物を友達や
家族に見てもらいたい」と考えていた城納さん。
SNSで地元の建築会社を見つけ、その会社の
コンセプトに共感して島根に帰ってきた。
その会社のコンセプトは? 現在の仕事は?
 「川本町の友人宅で待っています」
という城納さんを訪ねた。

帰ろうと思ったタイミングで
求めてくれる会社に出逢えた奇跡。

同じ時期に東京から川本町へIターンした友人宅は、大きな窓から田園風景が一望できる最高のロケーション。「ここによく移住仲間と集まるんです」と城納さんが教えてくれた。
「もともと、島根に帰ろうという気持ちはなかったんです」と話す城納さん。東京での仕事は順調だったし、このまま関東でキャリアを積むか、移るとすれば学生時代を過ごした広島か。そう見据えていた城納さんが心変わりしたのは、30歳という人生の節目を迎える頃だった。友人や家族の結婚式で帰省する機会が重なり、久しぶりにゆっくりと地元の空気に浸ってふとこれからのことを考えた。「地元で建物造りに関わってその物件に友達や家族が訪れてくれたり、感想を教えてくれたりした方が、自分は建築家としてモチベーションが上がりそうだな」。島根県内にどんな会社があるのか、インターネットでなんとなく検索すると、「Design Office SUKIMONO」(現在のSUKIMONO株式会社)のWebサイトがヒット。代表の平下茂親氏が東京で講演すると知り、さっそく足を運んだ。

「今は、木材やタイルなど外国産の安い建材が簡単に手に入るが、価格だけでモノを選んでいった結果、地域に何も残らなかったら、ふるさとはいずれ消滅してしまう。SUKIMONOが周りの建材屋さんや職人さんとアイデアを出し合って家を建てていくことで、地域の生活と技術を守っていきたい」と語る平下氏の話に共感していると、平下氏が突然、会場に呼び掛けた。「誰かうちで働きませんか?」。自分が帰ろうと思っているタイミングに、求めてくれる会社に出逢えた奇跡。講演会後にSNSで連絡し、お盆の帰省に合わせて会社を訪問することに。平下氏やスタッフの皆さんの飾らない人柄に触れ、「この人たちと一緒に仕事したい」。その気持ちが、城納さんを島根へUターンさせる最後の一押しとなった。

目指すのは、
「まだ見たことがない、
懐かしい風景(空間)」。

現在はSUKIMONOの一級建築士として、お客様との打ち合わせから、設計図の制作、現場管理まで幅広く担う。平下氏の掲げる「無為自然」という理念のもと、自然のままに存在しているように、しなやかな力を有するデザイン設計を追求し、なるべく地元の素材を活用した、作り手の息づかいが感じられる建築デザインを提案する。

城納さんが最初に手掛けた物件は、松江市内の歴史あるビルの1フロアをフルリノベーションしたシェアオフィス「HIGASHI HONZAN」。内装をきれいに整え、最新の機器をそろえて機能性を高めながらも、訪れた人に居心地のよさや安心感を与えるのは、あえてさまざまな材種を使った床や、木製家具とアンティーク調の椅子のコントラストのなせる業だ。城納さんは「その建物が経てきた時間を大事にしたいんです。まだ誰も見たことがない懐かしい風景(空間)の広がる建築デザインを心がけています」と語る。

職人さんと創り上げる空間が
最高の仕上がりをみせた時の手応え。

東京時代は「自分が描いた図面が絶対」だったという城納さん。今は会社のスタッフをはじめ、大工や建具の職人たちと話し合いながら、一つの建物を造りあげていく。「こうした方が耐久性が上がる」「こういうこともできる」など、「それまで知らなかった施工方法を教えてもらえて、一つの現場を終える度に自分の中の引き出しが増えていく」と感じ、考え方が変わった。さらに、地元の職人と関わる機会が増えたことで、「魅力的な素材が身近にたくさんあることに気付いた」と話す。例えば、石州和紙や杉、ヒノキなどの県産材、鉄、陶器など、見渡せば建築に必要な材料があふれていた。
作り手と直接会って言葉を交わすうちに、さらに手仕事の奥深さに引かれて、今では窯元を巡るのが趣味になった城納さん。「無骨で味のある作品が好きで、いろいろな窯元でお気に入りのマグカップを買ってしまいます」と話す。「職人さんの頑張っている姿を見ると、その方の作品を仕事でも使いたいと思う。いろいろな建築の現場にも参加してもらっています」。そうした流れで、温泉津の椿窯に店舗の看板を依頼したこともある。窯元にとっては初めての試みだったが、できた作品は施主にとても喜ばれた。その窯元さんからの紹介で、雲南市の組子職人ともつながることもできた。「異なる分野の職人さん同士がつながっているのも、島根のいいところ」と話す。そうやって、職人さんと物件を引き合わせ、そこでしか生み出せない仕様を創り上げていくことにやりがいを感じている。「建築士とさまざまな職人さんたちの想いが重なり合って、お客さんに期待していただいた以上のものをお引き渡しできた時は、最高の瞬間ですね」と笑う。

子どもたちが建築の道に進む
きっかけになるような建物を造りたい。

島根に帰ってきてますます仕事に打ち込む城納さんだが、その意欲の源泉は、Uターン前とは全く異なるという。「東京にいた時は、他社がどんな建物を建てたとか、他の人がどんな活躍をしただとか、そういう情報をやたらと得て自分と比べるような生活をしていました。でも、島根ではそういうことが全くない」。「それはなぜかですか?」と問うと、「人と比べることよりも、自分たちがいいと思えるものを造ることに集中しているからです」と答えてくれた。「一人ではなくみんなで」創り上げていく会社のスタイルと、職人さんたちと築いた信頼関係から心の余裕が生まれ、その土地に合った素材を取り入れるなどのアイデアの広がりを感じているという。

「田舎だからこそできる仕事に手応えを感じています。自分が手掛けた建築・空間を通して、それを見た子どもたちが将来、建築という仕事に興味を持ってくれたら。仕事とは、誰かに喜んでもらえること。施主さんや地域の人たちに長く愛され、月日を経て現れる変化を、親しみを持って楽しんでもらえるような建物を造っていきたい」。城納さんにとって島根は、自然体でいられて、しなやかな力が発揮できる場所なのだ。

城納剛さん
城納剛さん
島根県邑智郡川本町出身。地元の高校から近畿大学工学部建築学科に入り、広島キャンパスで学ぶ。大学卒業後、大学院に進みシステム工学研究科へ。大阪の設計事務所に就職。その後、上京。2017年11月にUターン。 ※掲載記事は取材時点の情報となります。

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