Shimane Life Style10 島根県に移住する11の理由 カルチャー

神楽も、日々の暮らしも、自分らしく。無理せず過ごせるふるさとの空気

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神楽も、日々の暮らしも、自分らしく。無理せず過ごせるふるさとの空気

Interview 移住者インタビュー

神楽も、日々の暮らしも、自分らしく。
無理せず過ごせるふるさとの空気

田窪大樹さん

大西和樹さん

広島市から邑南町阿須那にUターン。実家の電機店で働きながら、商工会青年部や消防団など地域の活動にも関わる。雪田神楽団に所属し、賀茂神社での奉納公演などで活躍。神楽のライブ配信も担当している。

歴史があり文化があり
今の暮らしがある

「島根には特別な空気感がある」
島根に住み始めたばかりの人から、そんな風に言われたことがある。
目に見えない世界のものに対して、島根の人間はごく自然に敬意を払っているとかなんとか、そんなことだったと思う。
そのときはピンと来なかったけど、考えてみれば、島根にはすごい歴史がある。
そして、それが現代にも遺っていたりする。
古代に編纂された『出雲国風土記』は完本が伝わり、当時のこの地域の姿を知らせてくれる。縄文時代の太古の森が掘り出されたり、それまでに日本中で見つかっていた以上の本数の銅剣が一挙に発掘されたり。工事現場から大量の銅鐸が発掘されたこともあった。
出雲大社も、かつて本殿は48mの高さがあったという。そして、その巨大神殿を支えた柱も発掘されている。
古代出雲で独自の文化が繁栄していたという話も、うなずける。
まだ掘り起こされていないだけで、きっとまだ、県内のいたるところにすごいものが埋まっているんだろう。
だからといって、島根の人間が
「どうだ、昔の島根はすごかったんだぞ!」
なんて思っているわけでもない。
「今の島根もすごい」。島根の人間は、そう思っているフシがある。
台風がそれた日には、
「神様のおかげだね」。そんな会話が、普通に交わされているのだ。

神々のものがたり

  • 出雲国風土記

    古代出雲についてたくさんの情報が詰まっている地誌。奈良時代の天平5(733)年に完成した。『古事記』や『日本書紀』と同じ時代に書かれた古い書物である。当時、他の国々でも風土記を編纂されていたが、ほぼ完全な形で残っているのは『出雲国風土記』だけ。出雲国の行政区分にはじまり、そこに伝えられた出雲独自の神話・伝承、寺院や神社、山や川、人々の暮らしや産物など、古代出雲を網羅した歴史マニアにはたまらない書物!
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    出雲国風土記
  • 島根県立古代出雲歴史博物館

    出雲大社の東隣にあり、「古代出雲」に特化した博物館。『出雲国風土記』を紐解き、当時の自然や景観、暮らしの様子が垣間見られる。荒神谷遺跡から大量に出土した弥生時代の銅剣がズラーーーリと並べられる様は圧巻。また、出雲大社のテーマ室では巨大神殿などの模型も展示され、ホールにある出雲大社から出土した巨大柱(宇豆柱)はロマンをかき立てる。
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    島根県立古代出雲歴史博物館
  • 出雲弥生の森博物館

    弥生時代の王墓「四隅突出型墳丘墓」に隣接している博物館。西谷3号墓は1辺が50mあり、斜面に置かれた石は2~3万個、土器は300個以上、装飾品も数多くあり王の権力の大きさがうかがえる。墳墓のジオラマは王の葬儀が再現され、当時の様子を垣間見ることがきる。
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    出雲弥生の森博物館
  • 神々が集う聖地 出雲大社

    縁結びの神として名高い出雲大社。御祭神は「だいこく様」の名で親しまれている大国主大神である。神話『イナバのシロウサギ』の中でウサギを助けた神様で、数々の神話に登場している。
    出雲大社が「縁結び」「神々の聖地」と言われるのにはわけがある。全国で「神無月」と呼ばれる旧暦10月を出雲地方では「神在月(かみありつき)」と言う。なぜなら、全国から八百万の神々がお集まりになり、1年の縁結び会議(神議り)を執り行うからだ。
    また、この期間、地元の人は「お忌みさん」という習わしを行っている。縁結び会議をする神様の邪魔をしないように心静かに暮らすのだ。例えば、大声を出さない、道路工事等を行わない、歌舞音曲をしないなど忌み謹む。出雲大社がこの地に鎮座してから、人々は目に見えぬものへの畏敬と感謝の念を大切にしている。
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    神々が集う聖地 出雲大社
  • 神迎祭(かみむかえさい)

    旧暦10月10日、出雲大社から西に約1kmにある稲佐の浜で、全国から八百万の神々をお迎えする祭りが執り行われる。砂浜にはかがり火が焚かれ、神々が宿る神籬(ひもろぎ)と龍蛇神(りゅうじゃしん)が祀られ、神迎えの祝詞が献上される。神籬に遷られた神々は絹垣に囲まれ、出雲大社へ。その後7日にわたり「神在祭」が執り行われる。

    神迎祭(かみむかえさい)

歴史の軌跡がストーリーとなる日本遺産

「日本遺産」とは地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーを文化庁が認定するもの。令和2年現在では全国で104件が認定され、島根県は7件と全国で3番目の多さ。これは島根が単に歴史・文化的価値だけではなく、いかに風土が地域に根ざし世代を超えて受け継がれているかを物語っている。その中のいくつかを紹介しよう。

  • 津和野今昔~百景図を歩く~

    幕末の津和野藩の風景などを記録した「津和野百景図」には、藩内の名所や自然、伝統芸能、風俗などの絵画が100枚描かれ、しかも解説付き。当時の様子と現在の様子を比べながら町を歩くことができる。

    津和野今昔~百景図を歩く~ 津和野今昔~百景図を歩く~
  • 出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語~

    日本古来の鉄づくり「たたら製鉄」で繁栄した出雲の地。今もなお世界で唯一たたらを操業している。たたら製鉄は原料の砂鉄の採取跡地を田んぼにしたり、燃料の木炭山林を循環利用するなど、人と自然とが共存する産業として地域を支えてきた。

    出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語~
  • 日が沈む聖地出雲~神が作り出した地の夕日を巡る~

    出雲神話の舞台「稲佐の浜」「日御碕」は、夕日スポット。この夕日にちなんだお社「天日隅宮(あめのひすみのみや)」が出雲大社に、「日沉宮(ひしずみのみや)」が日御碕神社に鎮座している。太古から出雲の人々は夕日を神聖視し、祈りを捧げる風習がある。

    日が沈む聖地出雲~神が作り出した地の夕日を巡る~

暮らしの中に息づき伝承される祭り

出雲は『古事記』『日本書紀』の出雲神話の舞台であり、伊勢・大和に次いで多くの神社がある。石見や隠岐地方にも中世以降の神社仏閣は多い。このように神仏の存在が暮らしの中に溶け込んでいることから、ユネスコ無形文化遺産に登録された「佐陀神能」、国指定重要無形文化財の「隠岐国分寺蓮華会舞」、「津和野弥栄神社の鷺舞」など各地域にさまざまな祭礼や芸能が息づいている。中でも神楽は多くの県民に親しまれ、石見神楽や出雲神楽、隠岐神楽が各地域で舞われている。

  • 佐陀神能

    松江市鹿島町の佐太神社は『出雲国風土記』にも記されている。佐陀神能は「御座替祭(ござがえまつり)」に執り行われる3種の舞(七座神事・式三番・神能)の総称。江戸時代初めに能楽の様式を取り入れて確立された佐陀神能は、出雲や周辺地域の神楽に影響を与えたといわれている。

    佐陀神能
  • 石見神楽

    石見神楽は明治時代に担い手が神職から民間人へと移って以降、神事芸能でありながら地元の人たちの娯楽としても愛されている。豊作を祝う神社の秋祭りの夜になると、子どもも大人も宮へ集まり夜通し神楽を見物する。中でも演目「大蛇」はオロチの口から火花まで飛び出し、迫力満点!
    詳しくはこちら

    石見神楽
  • 隠岐国分寺蓮華会舞

    隠岐国分寺に伝わる舞楽系の伝統芸能。古代の宗教儀式と中国大陸の影響を感じさせる宮廷舞楽の流れを組む。平成19年に本堂が焼失したが、地元保存会により翌年には舞が奉納された。弘法大師空海の命日である4月21日の「正御影供」に演じられている。

    隠岐国分寺蓮華会舞

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