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人口400人の町で見つけた
暮らしとともにある働き方

東京都出身の木村とも子さんは、
青年海外協力隊でサモアに派遣。
帰国後、大田市大森町の群言堂グループの
理念に共感し、
Iターンして
石見銀山生活観光研究所に就職した。
暮らしと仕事が混ざり合った大森で、
自分の可能性を見つけようと挑戦している。

将来を迷ったとき、
思い出した場所

 世界遺産・石見銀山がある島根県大田市大森町は日本の原風景をそのまま残したような美しい町だ。石州瓦の家並みを囲む豊かな自然は、四季折々の動植物の息遣いを伝える。人口400人ほどのこの小さな町に根差し、衣・食・住・美を通して「根のある暮らし」を提案しているのが、ライフスタイルブランド「群言堂」などを全国に展開する石見銀山群言堂グループだ。木村さんは同グループで働くために2020年4月に東京都から島根県に移住。現在はグループ会社のひとつ、石見銀山生活観光研究所に所属して、広報誌『三浦編集室』の制作補助業務をメインに、カフェスタッフや宿泊施設のスタッフなどを任されている。
 木村さんが初めて島根を訪れたのは東京都内の大学3年生の春のことだ。アルバイト先の先輩が大森でパン屋を開いたと聞いて、旅行がてら母とともに店を訪問したのだった。この時、店主の誘いで群言堂の松場大吉会長宅の宴会に参加し、町の住民と交流したことは、木村さんにとって非常に印象深いものになった。「若い社員さんが多く、どの人も町に根差した暮らしを楽しんでいた。ヤギを飼っているといったエピソードを聞いて『良い暮らしをしているな』と感じたものの、この時は島根に移住することはまったく考えていませんでした」。

 それというのも木村さんは大の子ども好きで、当時は小学校の教師を目指していた。しかし社会を知る前に教師になることに不安を感じて、広い世界を知りたいと大学卒業後に青年海外協力隊に応募。南太平洋の島国・サモアに2年間派遣された。現地の小学校で算数や体育を教えたり、日本文化の紹介をしたりしながら、現地の生活にもすぐになじむことができた。「サモアの人たちはとても人懐こくて、しょっちゅうおすそ分けをもらったり、一緒にご飯を食べたりしたものです。交流する中で、働くことよりも暮らしを大切にする価値観を知り、その文化や暮らしが大好きになりました」と、サモアでの経験はかけがえのないものになった。一方で帰国後、カリキュラムや日々の業務に追われがちな日本の教育現場と、暮らしを重視するサモアの生き方にギャップを感じ、教職に就くことに疑問を抱くようになる。「日本で暮らしを大切にした働き方はできないだろうか」。そんな時に思い出したのが、サモアに行く前に訪ねた群言堂だった。

さまざまな人とのかかわりが
成長させてくれる

 大森町は山あいの小さな町でありながら、若い世代の移住者が後を絶たない。その背景には、群言堂をはじめとする町内企業、そして住民たちが主役となって歴史や文化、豊かな自然といった「大森町の価値」を見出して、過疎化の一途をたどる町を守り、価値を磨いていった歴史がある。サモアからの帰国後、群言堂のことを調べ始めた木村さんは、その考えや取り組みを知れば知るほど共感を深めていった。「過去から本質的な価値を学び、未来に引き継げる形で新たに価値を創造する『復古創新』の理念や、『発展だけが幸せではない』という言葉、また暮らしの延長線上に仕事がある働き方も魅力でした。ここなら暮らしを大切にしながら、同じ思いを持つ人たちと楽しく働けるのではと感じました」と木村さんは振り返る。ちょうど社員を募集していたタイミングとも重なり、帰国から半年後、大森での生活がスタートした。

 現在、木村さんは群言堂の広報誌であり、大森の暮らしや住民たちを紹介する『三浦編集室』のスケジュール管理といった制作補助や、担当する連載の執筆、外部との調整やガイドといった広報業務、群言堂本店カフェの接客、宿泊施設の補助スタッフなど、さまざまな業務をこなす。「当初は英語力を生かして海外のお客様へのガイドをメインに、その他の仕事も身に付けていく予定でしたが、コロナ禍でそれも難しくなりました。本来の海外向けの仕事ができないことへの焦りは感じつつも、自分にできることを模索しています」と自ら手を挙げて積極的に新しいことにチャレンジしている。仕事では町の人とかかわる機会が多いが、好奇心旺盛で人とふれ合うことが好きな性格のおかげで、あっという間に知り合いが増えた。町の人と道ですれ違えば挨拶をして、休日にはちょっとしたお喋りが弾む。住んでいる女子寮の隣家のおばあちゃんとは、ときどき一緒にお昼ご飯を食べる仲だ。「町の人との距離感が居心地良く、かかわりがとても楽しい」と町の人とのつながりを大切にしている。
 また大森町や群言堂には全国からさまざまな企業や団体が視察に訪れるが、ガイドをする時は町を一望できるお寺の境内に案内することが多い。自分が大好きな赤い屋根瓦の町並みや自然の美しさを、町の外の人たちにも楽しんでもらい、魅力を知ってほしいとの思いからだ。人口400人の山あいの小さな町でありながら、外部とのつながりや出入りが盛んな大森町のことを木村さんは「特殊な田舎」だと感じている。全国の多様なバックグラウンドを持つ人たちと出会い、世界観に触れることで、木村さん自身の視野やネットワークも広がった。「いろいろな仕事にチャレンジをしているところですが、得るものは大きいです。『自分はこんなこともできる』と発見や可能性を広げていきたい」とまっすぐに前を向く。

どこで、誰と、
どう暮らしていきたいか

 木村さんが大森に移住して感じるのは、季節の変化に敏感になったことだ。木々の色合いの変化や、川のせせらぎの音、生き物の声などに五感が刺激され、自然の移ろいを身近に感じ、喜びを覚えている。「山菜採りや釣り、梅仕事など季節の遊びをしてみたいと夢見ていたので、実現できていることに、じんわりと感動しています」と嬉しそうに話し、登山も始めるなど趣味も広がった。こうしたプライベートの時間を一緒に過ごすのは、町の人や会社の同僚、そして女子寮のメンバーたちだ。女子寮は群言堂からほど近い古民家を改修したもので、現在は木村さんを含めて6人が暮らす。食事は基本的に自由だが、夕方になると、大きなテーブルが置かれたダイニングキッチンで誰からともなく夕飯をつくり始め、たいてい、気づけば何人かが集まって食事をとる。「寮のメンバーは同年代が多くて、家族のように和気あいあいとした雰囲気。休みの日もよく一緒に出かけますが、かと言って干渉するわけではなくて、とても良い関係が築けています」と、仕事とプライベートの垣根なく一緒に過ごせる仲間を得ることができた。

 もうひとつ、ライフワークともいえるプライベートの楽しみがある。それは子どもたちとのふれ合いだ。ボランティアで小学校の放課後クラブのスタッフをしたり、知り合いの子どもの子守りをしたりと、教師とは違う道に進んでからも子どもたちとのかかわりを続けてきた。「大森は町全体で支え合って子育てをしていて、子どもたちの元気な声が聞こえることも魅力。職場の仲間や町の人からいつも何かをもらってばかりなので、私も子守でも何でも、町の役に立ちたいです」と住民のひとりとして町に貢献したいと考えている。
 仕事と暮らしがほど良く溶け合う町・大森。群言堂グループは大森の価値を大切に守るとともに新たな価値も創出し、今では多くの若者たちが収入を得ること以上の魅力をこの町に見出している。「自分に何ができるかは、まだわかりません。でも大切なのは、どんなところで、どんな人と、どんな暮らしをするかだと思っています」と木村さんははっきりとした口調で語る。大森町での暮らしは始まったばかり。これから先どんな出会いがあり、どんな経験が待っているのか、その未来を楽しみにしたい。

木村 とも子さん
木村とも子さん
東京都出身。都内の大学を卒業後、青年海外協力隊としてサモア独立国に派遣され、現地の小学校に2年間勤務する。帰国後、2020年に石見銀山 群言堂にIターン就職。広報誌『三浦編集室』の制作補助などに携わる。 ※掲載記事は取材時点の情報となります。

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