横浜で暮らしていた永見さん一家が、
コロナ禍をきっかけに選んだ新たな地は、
島根県松江市島根町野井。
かつては「海が嫌い、泳げない」
少年だった永見さんが、
この町で選んだのは漁師という仕事だった。
のどかな港町で家族の笑顔に囲まれながら、
今日も海とともに生きる。
コロナ禍をきっかけに、
夢だった「自給自足」の生活へ。
島根町で漁師をしている永見さんを訪ねて、島根半島へと車を走らせた。松江の市街地を抜けると道はやがて海岸線に沿って、ゆるやかなカーブを描きながら美しい海景を映し出す。青く広がる海原には大小の島々が点々と浮かび、時おり聞こえる波音が耳に心地いい。海と暮らしが溶けあう、穏やかな港町だ。
永見さんが島根県に移り住んだのは、2021年のこと。移住前は横浜の建築会社で営業の手腕を発揮し、社内でも一目置かれる存在だった。妻と3人の子どもたちとともに、何不自由ない都会の暮らしを送っていたが、心の奥には、自然に囲まれた土地で自給自足の生活を送りたいという思いがあった。
「僕は昔から、“仙人”になりたかったんです(笑)欲望の多い世の中ですけど、そういうのから離れて、自然と共存できるような人になりたいって。だからいつか、自然の多いところで暮らしたいねって、夫婦で話していました」と、永見さんは笑顔で語る。
その“いつか”が現実味を帯びたのは、コロナ禍だった。「スーパーから商品が消えて、普段買わないようなものまで根こそぎ買っていく人たちを見て、怖さというか、危機感を覚えました。これでは困る人がいずれ出てくる。そういう人たちのためにも、生産する側に回らないと、と思ったんです」
理想の暮らしを叶える土地を求めて、永見さんは休日になると家族とともに旅に出た。静岡に住む両親も誘い、西日本を巡る日々。九州を回り、四国にも足を延ばし、そして、最後にたどり着いたのが島根県だった。「出雲平野の田園風景を走っていたとき、空がすごく近くて。うわ、ここ気持ちいい!って、家族全員の気持ちが一致したんです。その風景を見た瞬間に、“島根にしよう”って決めました」


“海が嫌いで泳げなかった少年”が
選んだ漁師への道。
そうして2021年、永見さん一家7人は島根県に移住。ふるさと島根定住財団が行う産業体験の制度を活用し、農業や漁業を家族でそれぞれ体験した。そのなかで出会ったのが、現在暮らす島根町の定置網漁だった。「僕、もともと海が嫌いだったんですよ。船に乗れば酔うし、泳げもしない。どう考えても漁師に向いていなかった(笑)」
それでも漁師を選んだのは、周囲が本当に温かく接してくれたこと、そして高齢化や人手不足によって、漁場の環境が十分に整備されていないという現実を目の当たりにしたからだった。「やる人がいないなら、自分がやろう」。永見さんは野井の海に腰を据える決意をした。
現在は島根町の海岸沿いに、家族5人で暮らしている。日本海を一望できるその自宅は、もともと空き家だったものを借り受けたものだ。「今、家は4軒あります。僕たち家族の家、両親の家、そして一棟貸しの宿も運営しています。そう、あの島の土地も、一部持ってるんですよ」と永見さんは、沖に浮かぶ島を指差してにっこり。いやはや、なんともスケールの大きな話である。


仕事のなかに家族の姿がある今の幸せ。
永見さんの一日は、早朝4時の起床から始まる。午前中は海へ出て、今の時期は牡蠣の水揚げが最盛期だ。昼には戻り、出荷作業に取りかかる。妻や両親も一緒に手伝い、家族みんなで力を合わせて漁業に取り組んでいる。
かつては泳げない“金づち”だった少年は、いまや水深10メートルを超える素潜りもこなす。「ここの海は本当にきれいだから、怖くないんです。10メートル下の海底が見えるくらい透明で、深いところにも光が届く。うちの宿に泊まったアメリカ人のお客さんを案内したら、『毎年3カ国くらい巡っていて、これまでたくさんの海を見てきたけど、ここが一番きれい』って言ってましたね」。なかでも格別なのが朝の海。定置網漁を終え、朝日を背にして漁船で戻って来る瞬間は本当に“ご褒美”だと語る。
「でもいま一番幸せを感じる瞬間は、家族全員でお風呂に入っているときですね。今の家のお風呂は追い焚きができなくて、寒いから家族5人でぎゅうぎゅうになって一緒に入るんですよ。『あったかいね〜』って言いながら。たまにみかんを浮かべたりしてね。あの瞬間が最高に幸せなんです」
かつて横浜で働いていた頃は、家族と過ごす時間がほとんどなかったという。三食すべて別々にとる生活。忙しさのなかで、「自分は何のために働いているのか」と、ふと疑問を抱くこともあった。「でも今は、朝ごはんを家族みんなで囲める。昼は妻と一緒に、夜もまた全員で食べられる。それだけで最高ですよね。それが、こっちに来て、この仕事をしているからこそ実現できたことなんです。やっぱり家族でいる時間って、本当に尊いなって思います」
忙しさは今も変わらない。けれど今は、仕事のなかに家族の姿がある。イベントでは子どもたちも一緒に商品づくりを手伝い、時には海の素材で作ったアクセサリーを販売することもあるという。子どもたちにとってもここでしかできない経験であり、何をするにも家族がいつもそばにいる。


人生は、
どうなるかわからないから「面白い」。
海風がやわらかく吹き抜ける家の敷地には、楽しげに駆け回る三人の子どもたちと、魚の匂いに誘われてやってくる猫の姿。まるで時間がそこだけゆっくりと流れているかのような、穏やかな光景だ。妻の幸絵さんは、宿の切り盛りをしながら、夫の出荷作業も手伝い、経理まで担う頼もしい存在だ。生まれも育ちも東京というが、化粧水もお茶も、自然に生えている植物から手づくりしているというから驚きだ。この地の暮らしに、すっかり馴染んでいるように見える。
「都会で暮らしていると、この先の人生がどう進んでいくか、なんとなく想像できてしまうんです。でも、ここにいるとそれが全くわからない。だから面白いですよね。夫の決断に迷うこともありますけど、いつも“まぁ大丈夫でしょ”って言って、不安を感じさせないんです。そこが夫のすごいところかな」と、幸絵さんは笑顔を見せる。
その日、永見さんは牡蠣漁で、新たな“極意”を身につけたという。「これまでは水深10メートルくらいまでしか潜れなかったんです。でも、どうしても13メートルくらいまで行かないといけなくて。とりあえず目をつぶって心を無にして、身体の感覚だけを頼りに潜ったら行けたんですよ。この調子でもっと深くも潜れそうだなって」と嬉しそうに話す。“やってみないと、わからない。やってみたら、案外できた”そのエピソードは、まるで永見さんの生き方そのものだ。島根町で、海と家族とともに紡がれる日々は、これからも変わらぬ幸せを少しずつ積み重ねていくことだろう。


- 永見輝晃さん
- 静岡県生まれ。大学時代から横浜で暮らし、商社や建築会社での勤務を経て、2021年に島根県へ移住。妻・幸絵さん、3人の子どもたち、両親とともに、松江市島根町野井地区での新たな生活をスタートさせる。現在は漁師として、家族と支え合いながら海の仕事に取り組んでいる。 ※掲載記事は取材時点の情報となります。